ロイヤル・コンセルトヘルボウ管弦楽団の第6代首席指揮者にマリス・ヤンソンスがこの秋就任した。
その就任早々来日公演が東京、岩国、福岡、京都、名古屋で行われた。
11月14日(日)愛知県芸術芸場コンサートーホールではブラームス:交響曲第二番ニ長調。チャイコフスキー:交響曲第六番ロ短調「悲愴」を演奏するというので胸ときめかせて出かけた。全席完売。3階席の最前列に陣取る。

ヤンソンスの指揮台には譜面台が取り払われて全曲暗譜による指揮。
名門オーケストラの首席指揮者に就任したばかりの熱意が伝わってくる。

第一部はブラームスの2番。
ホルンの呼びかけに木管が応える第一主題。チェロとヴィオラの揺れるような第二主題。そしてヴァイオリンへと展開していく美しい楽想をヤンソンスの力強く華麗で凛々しい指揮姿が舞う。ブラームスらしい魅惑的な主題による第二楽章アダージョ・ノン・トロッポ。
哀調ある第三楽章を経てアレグロ・コン・スピーリトによる終曲を力強く決めたelyze價錢

何という洗練された音を紡ぐのだろうというのが第一部の感想である。
最近のオーケストラはどれも似たような音をだすような気がする。
しかし、ロイヤル・コンセルトヘルボウ管弦楽団の音は微妙に違う。独特の音色をもつように思う。
それは“ヴェルヴェットのような弦、黄金の輝きを持つ金管、底光りするような木管”にヤンソンスの楽譜の背後にあるものを突き詰めた表現の豊かさ、深さ、色彩、熱が溶け合って醸された音というべきかもしれない。


そして第二部のチャイコフスキーの交響曲第六番ロ短調「悲愴」は至高の出来映えだった。
この曲はチャイコフスキーが死の直前に作曲し自ら指揮をし、その10日後になくなったという因果関係が謎めいた曲だ。チャイコフスキーの抱えた深淵をこの曲のフィナーレに重ねていつも聴いてしまうのであるが、今夜のフィナーレは絶後の名演だった。
こんな名演を聴くことはめったにないだろう。

第一楽章の苦悩に満ちたアダージョから第二楽章のコン・グラツイア(優美に)の速いテンポ。
第三楽章はスケルツオ風に。

そしていよいよフィナーレ。ヴァイオリンが慟哭し、苦悩し耐え難くなるとそこへ銅鑼が終末をつげるように鳴る。
そしてなにかをつぶやくようにあえぐように低弦のpppピアニッシッシモで消え入るように終る。

演奏が終わり指揮者のマリス・ヤンソンスは指揮を終えたままのすがたで身じろぎもしない。
指揮台に忘我となスキーの「この世との告別」が重なる。

この極上の余韻をぶちこわすように観客の愚かな一人が拍手をした。
 嗚呼!この「悲愴」の終末の余韻を楽しみに今宵やってきたというのに…

 それから何秒経ったであろうか。割れるような拍手が劇場に鳴り響いて余韻からみな覚めるのだった。
 ブラームスもよかったけれど、今夜の「悲愴」は最高の出来だったと断言したい。

 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の音は特別だ。
 “ヴェルヴェットのような弦、黄金の金管、底光りする木管”まさにロイヤルの冠をいただくに値する。
 魅せる指揮は切れが良く、時にはドイツ的であり深く、洗練度が高く、華麗で美しい指揮だった。
  何という魅力的な指揮者なのだろう!

 世界屈伸の名門オーケストラである楽団員自らが選んだ指揮者であるわけがうなずける!
 楽団員一人一人の匠の音をさらに高め尊重し一つの珠としたマリス・ヤンソンスの指揮は今世紀の彼の時代を予兆させるにたるものだった鑽石能量水 消委會